Season 2006

このシーズンはEM期の終了から、ポストEMともいえる新たな体制でのイベント提供への過渡期として特徴づけられると思います。
2005年初夏、EMの活動が非常に活発だったSeasonIIIの勢いを再び見せるかのように見えたSeasonIVは、2005年初秋の「宝珠の守人」導入直後まで短く激しく燃えて終わり、 それ以降はほぼ少数の特定シャードでのみEMの活動が知られるだけとなりました。それが2006年のSeasonVでした。
今思えば、改めてEMプログラムが終了される過程だっのでしょう。
そして同じ2006年には、Inuイベントという大きなシナリオの中での、Ricardoイベント、オフィディアンイベント、そしてハロウィンイベントが起きました。
その背後にはデザイナーとして開発チームに迎えられたDraconiの存在、そしてEAがMythicを買収してEA Mythicとなったという二大要因があったことを考えると、 このEA Mythic下でシナリオの才覚を存分に発揮したDraconiを中心とする新体制へとEM体制から移行する動きも同時に起こっていたといわねばなりません。
この新体制が目指していたものが、大雑把に言えば、「よりよりたくさんのプレイヤーに楽しんでもらうこと」でした。
そのためのキーワードは、Jeremyの言葉を借りると「大規模」な、「人の力」でない、流動的で継続的にプレイヤーの興味を向けさせる「開発者製のライブイベント」(developer-created Live Events)です。

EM的か新体制的か、それはこの全シャード・大規模というところに尽きます。
EM時代にも、卓越したシナリオでプレイヤーの為に尽力したEMも当然いますが、どうしてもひとつのシャードの一部の人にしか届きませんでした。
そして、新体制でさらに重要なのは、それが肯定的であれ否定的であれ、そのときログインするプレイヤーに関わる「ライブ」なものであること、そして同時にUOの歴史が「ライブ」に動くことなのです。

さて、この時期が「過渡期」であるというのは、シャード固有のEMイベントがあり、また全シャード対象のライブイベントがあり、 そしてそのライブイベントの中でもアジアシャードを対象外とした「半EMイベント」があったということからそう言えるでしょう。
この半EMイベント(たとえばリカルドの護送)は、その状況と対象地域がSeasonIやIIIのオーク侵攻などの全EMシャードイベントと同じで、しかもシャードごとに独自性が出ているのですが、 それでもその内実はEMプログラム終了テストの一環と見ることも可能だと思います。
これも今思えば、そのあとにリカルドの裁判が、プログラムされたNPCによって自動で行われて成功したということが、 極端に言えばEMプログラムの終焉と新体制でのライブイベントの幕開けを同時に示してくれていたのではないでしょうか。

さて、「ポストEM」、「EM以後」を表すもっとも象徴的な言葉として「ライブイベント」は適役なのですが、なにせややこしい説明をして始めて合点のいく話なので とてもじゃないけど馴染みやすいものじゃないですね…。しかも私が個人的に決めてしまおうというので、少々腰が引けてるのが本当のところかもしれません。
ということで、困ったときは右へならえ、年数にSeasonをつけてSeason 2006の始まりです。
Season VIにならないのは、EM期の終了を表しているということで。